一枚の写真はつねに雄弁だ。そこにはオオカミの狛犬が写っている。白狼だということなのだけれども色はわからない。そして狛犬にはイヌという言葉が入っているからオオカミの狛犬というのは妙なんじゃないかと瞬間的にいぶかしむのだけれど狛犬はそもそもイヌの像ではない、あれは獅子に似ている獣像だ。それにオオカミというのは別名ヤマイヌなんだから、日本列島のオオカミは山犬と呼ばれていたんだから、オオカミの狛犬はぜんぜんありうるとあたしは考え直して、もう一度ちゃんと写真を見ると、首には縄がかかり、縄には四手(シデ)がかかる。あああ、ここはオオカミ信仰の神社なんだな、とあたしはすっかり頭を垂れる。これは飯舘村の山津見神社にて撮られた一枚だ。山津見神社のそのヤマツミというのは山の神、山の霊のことで、ふつうは山祇と書いたりする、また、山神と書いたりする。しかし飯舘村には山津見神社がある。オオカミ信仰を持てる人たちのことをあたしはどう思うか? あたしは、頭が柔らかいんだなと思う。あたしはソフトである頭脳をリスペクトする。あたしは飯舘村をリスペクトする。

イとつぶやいてみる。

一枚の写真が四十超のフレームを内蔵している。そこには天井が写っていて、天井には絵があって、つまり天井画なのだけれども、写真を見るかぎり絵は四十枚……四十八枚……五十六枚……六十三枚……七十枚、を超える数ある。結局、話を聞いてみると、山津見神社の拝殿には二百何十枚もの天井画があるのだ。そしてオオカミが描かれている。そのオオカミは、一頭一頭、違うオオカミだったり違う行為に夢中になっていたり要するに違う時間を生きているのだ。なんという壮観さ! そしてその天井画は、ずうっと昔から伝わっている天井画、というのではなかった。天井画は二〇一三年四月一日に焼失してしまい、その後に復元された。なんとオオカミたちのその絵は、一枚一枚、研究用に記録写真が撮られていた。その一枚一枚の記録写真から、現在の天井画のその、一枚一枚、がもとに戻された。天井のオオカミたちは帰ってきた。そして飯舘村は二〇一一年四月十一日に、福島第一原子力発電所の事故の影響で計画的避難区域に指定された。その「計画的避難」の区域というのは翌年に再編されて、避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域の三つに分かれて、そういうのも解除されるものは解除された。人も帰ってきた。

またイとつぶやいてみる。
タとつぶやいてみる。

一台のレコーダーも回していない時に大切な話が聞けた、ということもある。そういう時は自分の脳内のレコーダーを信じるしかない。脳内のレコーダーの別名を、記憶、という。そのエンジンを記憶力という。何かに刻まれたものは記録というのだけれども、昨今は記録こそがどうやらフェイクの温床になっている。だからこそデータはあえて省いてみる。たとえば名前、たとえば地名、そういうものを除けてみる、いったん。そうするとどうなるのか? どの独立市町村も、もしかしたらオオカミ信仰の飯舘村であるのかもしれない、と想像できるようになる、とあたしはいま想像している。だから、ここまでにイとつぶやいたし、またイともつぶやいたし、それからタともつぶやいたのだけれども、もっと単語(の発声)を続ける。テとつぶやいてみる。ムとつぶやいてみる。そこまで行ったら、どうなるのか? そこまで行ったら、誰だって、あとはラと続けるしかないのだ。はっきり書こうか?

ラとつぶやいてみる。

その人は言っていた。「わたしたちは移住者です。そして、ここに移住してきて何年も経って、毎日生きています。毎日、日常というのを過ごしています。そうなんですよね、これ、日常なんですよね。だって、生きて、仕事をして……。ただ、もともと町の住人たちだった人と、話すでしょう? 触れ合うでしょう? そうすると、『日常はまだ戻ってきていない』という結論になります。かつてここには日常があった。それが原発事故、強制避難でうしなわれた。それは現在も戻ってきていない。わたしは、そういう瞬間に、アッ、と思って。わたしたちは移住者です。でも、ここに根を張って、すでに『いまの日常を築きあげている』わけです。本当に、わたしたちのこれ、これって日常なんですよ。そうですよね? そうじゃないですか? だけれども、同時にわたしたちのかたわらには、ずっと日常が『ないんだ』という人たちが、毎日、時間を過ごしている……。それって、なんなんだろうな、って。このギャップって、なんなんだろうな、って。でも、こういうことを、整理しては伝えられません。わたしたちは震災前のここを知りません。ここにどんな風景があったのか、どういうことが復旧で、復興なのか。それでもわたしたちは、日常は、過ごせます」

その人は言っていた。「東日本大震災ですか? いま『三歳か四歳だったんだよね』と尋ねましたか? はい。僕は高校一年生ですから。いま『そうだとすると東日本大震災が起きた時のことは、その日のことは、もちろん憶えていないよね』と言いましたか? いいえ。僕は憶えてます。はっきりと記憶しています。母親と動画を観ていたんです。それからありえないような揺れが来たんです。あの地震が起きたんです。母親は僕を、抱えました。脇の下に、こんなふうに。はい。その体勢をはっきり憶えています。記憶に刻んでいます。そして僕を抱えた母親は、うちの外へ出たんです。すると背後で、屋根瓦が、落ちたんです。はい。出たら、その瓦が落ちたんです。憶えています。こういう情景を、僕は、しっかり記憶しています。何をしていた時に、どう起きて、どうしてもらって、どんなふうに逃れたか。僕は(二〇二四年の一月のいま)高一ですけれども、それらをこういうふうに、記憶しています」

あたしは思い込んでいた、とつぶやいてみる。
あたしの頭は固い、とつぶやいてみる。

その人は言っていた。「僕は憶えていません。同じように高一です。東日本大震災の当日のことを、そんなふうに記憶に残しているということはありません。いま『普通はやっぱり、そうなのかな。そうなるんだよね』と言いましたか? いいえ。僕は震災のその後のことを記憶しているので、その意味で、僕は東日本大震災を憶えています。(原発事故の影響で)屋外で遊べませんでした。そういうのが続いて、だから、これは『東日本大震災があった時期』なんです。僕は、僕たちは、そういう時期の子供たちです。きちんと震災を体験しました。モニタリングポストですか? 日常の暮らしにモニタリングポストがある(視界の内側に確認される)ことを、別になんだとも思いません。それは『そこに在るもの』です。学校の、その敷地には設置されているもの、です。僕はグラウンドを走っていて、痛ッ、とモニタリングポストに頭をぶつけたこともありました。ただ、中学に上がって、高校生になって、他の被災地とこことは違うんだな、と感じたりはしました。たとえば宮城県の太平洋岸の街が、本当にいい感じに復興していて、『原発事故さえなかったら、ここ(自分の郷里)も、あそこ(宮城のその街)のようになれたはずだった』と思ったり。はい。そういう街に旅行をしたことがあって。いま? 自分で、現在の、現時点のここの問題というのを、探すことがあります」

押しつけられる問題とは違うものを、と言い換えてみる。
柔らかい豆腐の角にみんなで、頭を、ぶつけてみたいなと煽ってみる。

どの人たちも飯舘村の住人ではない。だからこそイと。
またイと。
タと。
テと。
ムと。
ラと。
つぶやいてみる。

イ/
イ/
タ/
テ/
ム/
ラ/

スラッシュ、スラッシュ。スラッシュ。

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一枚の写真が現われて、ここも飯舘村だよと語った。この写真のここに写っている男性は、真鍮製の管楽器を吹いているんだよと語った。この管楽器はサックスだよ、つまりサキソフォーンだよと語った。ジャズ、ジャズとあたしに語った。その写真は雄弁に語る、語っている。

イイタテムラ。飯舘村。その山中に一頭のオオカミがいて、千年という時間を考えている。考えている間に九百年が経って、気がついたら絶滅している。同胞たちが。そして思う、オレハ最後ノ一頭カ? と。やがて人間たちも村から去り、それは強制的な立ち退きで、驚いてしまったオオカミは、コノ神社ハドウナルノダロウナと山津見神社のことを考える。ついに天井画も焼けて、オオカミはドウヤラ次ノ千年トイウ時間ハナイゾと考えている。しかし天井画が現われて、人間たちも現われ直す。その後にサックスが響いてきた。どこからか管楽器のメロディが流れてきた。アアア、コレハイッタイ何年後ノコトナノダロウとその一頭のオオカミは考えて、それが次の百年を呼び寄せる。それから九百年も呼び寄せて、前後あわせて二千年という巨大な時間がその小柄な、痩せた一頭のオオカミに捕捉される。そのオオカミは吠える。

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© Hideo Furukawa

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